2016.02.17
平成28年2月17日(水)
前の日の夜から腹の調子がおかしい。
したいのに出ない。
なんど気張っても出てこない。
次第にお尻も痛くなった。
今日は朝から入院なのだ。すっきりしてから行きたいなあと思っていた。
その時までは・・・
そろそろ出ようかと準備を始めた。
服を着替えタクシーを呼ぼうかなと考え始めていた。
あれ・・なんか・・調子悪い・・・気分わりい・・・
リビングで横になった・・・
もう・・・動けなかった・・・
「わりい・・・救急車読んで・・・・」
体が震えだしていた。
何かわからないが震えが止まらない。
妻が横で救急を呼んでいる。
懸命に状況を伝えている。
救急車は少し離れた所にいるらしく先に救急版をよこすらし。
霞む意識の中で、家の中にドヤドヤ人が入ってきている。
自分に色々問いかける。
震える体を止めることができないまま答えていく。
もう家の中がどんな状況か自分ではよくわからなくなっていた。
外で救急車の音が聞こえた後、担がれ救急車に載せられたらしい。
そのまま高島平中央綜合病院へ運ばれた。
今思えばあの震えはなんだったのかわからない。
とにかく震えが止まらなかった。
救急の人が抑えようとしても無理。
そんな状況だったが、搬送されしばらくして落ち着いた。
そのままその日入院するはずだったその場所へそのままベッドで運ばれた。
2016.02.16
平成28年2月16日(火)
朝8時には病院についていた。
歩くのも辛く、本当は行きたくなかったのだが車で妻と病院へ。
早く来ても構わないと言われ、早く来たのだが結局受診は9時から。
それでも38度5分以上の人はこちらという枠に座る。
当然インフル反応は出ない。
さすがに地元の大きな病院。早朝から待っている人が多い。
高熱にふらふらする中、ようやく受診の順番に。
一通り状況を聞かれる。
高熱、頭痛。でもそれ以外は自覚症状はない。
「じゃあ。血液検査しますので・・」
促されるまま血液を採取される。
またしばらく待機。
「・・・番の方診察室へどうぞ」
「あれ?また俺が呼ばれてる」
扉を開けふらつく頭で診察室の扉を開けた。
「・・さん、すぐに入院できますか?」
医師のその言葉に耳を疑った。
『入院?』
『今すぐ?』
人生で初めて聞く言葉。
「え?今日ですか?」
「そうです。」
「あなたの検査の結果、腎臓が全く機能していません。血圧も異常に高いです」
「そんな事言われても・・」
「このまま返すわけにいきません。」
そこまで言われて帰れるわけもなく、妻にそのことを伝える。
「それと次に脳形成外科の診断受けてください?」
「脳?」
確かに頭痛は激しいので関連があるのかもしれない。
言われるまま順番を待った。
その間も『入院』のことが頭を離れない。
仕事、家、お金。それに今日は車で来ている。
しばらく待つうちに脳形成の受診の順番に。
「ちょっと痛いけど我慢してね?」
笑顔の奥に光る視線に震えながらも、なにやら背中でごそごそと始まった。
早朝から来ているのにもう時間は午後になろうとしている。
待つこと再度番号を呼ばれた。
「・・さん、あなた髄膜炎の疑いです。」
髄膜炎?
「本当はこのまま入院していただきたいのですが、ベッドの空きがありません。」
「明朝から入院してもらえませんか?」
「はあ・・」
「でも車は運転できませんよ」
点滴をされ多少体調が回復した私は、妻とタクシーで自宅へ戻った。
それが2月16日のことだった。
2016.02.10
~その日は突然に~
「あーなんか具合悪い」
平成28年2月10日夜。
明日はテニスもあるのにこれじゃあ行けないな。
激しい頭痛の中そんなことを考えていた。
熱を測ると38度5分。
これじゃあテニスどころじゃない。
インフルか・・
2月11日(祝)
翌朝目がさめると頭痛は続いている、熱も相変わらず38度台。
しょうがないので休日診療の医者を探す。
11時半に来てくれとのことで、受診するもインフルの反応は出ずに
解熱剤のみ処方。
家に帰って寝るものの頭痛はやまず・・
2月12日(金)
休日が明け、金曜日にはなったものの会社へ行く気力はなく休む。
近所の診療所へ行くものの、インフル反応ではなく解熱剤のみ。
日曜日までそれが続き、さすがにこれではまずいと
「点滴とかしてもらえませんか?」
と診療所へ電話するものの、ここではそんなことしてないので、もっと大きな病院でどうぞと言われてしまう。
2月15日(月)
月曜日の午後、ここで初めて高島平中央綜合病院へ電話を入れた。
受診しないとわからないので、お越しくださいと言われ、運命の平成28年2月16日が来た。